あなたは「空手バカ一代」というマンガを知ってますか? その中で一番輝いていたキャラクターの芦原英幸という名前を覚えているでしょうか? その人物が実在したという事を知っているでしょうか? 芦原英幸先生の強さ、生き方、カリスマ性、どれをとってもヒーローといえる存在だと思います。 その芦原先生をここでは実在のヒーローとして扱わせて頂きます。
「空手バカ一代」で大山倍達総裁の高弟の一人として登場し、ケンカ十段と異名をとって数々のエピソードで人気のあった、芦原会館館長芦原英幸先生、 偶然に知り合いから先生が、亡くなられた事を聞いたのが亡くなられた2日後の事、1995年4月24日に50才という若さでこの世を去られた。 私はちょっと信じられなっかった、あの強くてカッコよくて、病気など縁が無いように見えた先生がなぜ? 先生は不治の病に侵されていたそうで、元気な時代しか知らない自分にとってあまりにも突然な死は驚くしか無かった。 自分は「空手バカ一代」からあこがれて高校生の時、道場に通った3年間という短い間でしたが、当時の思い出話を書いてみたいと思います。 あなたは「空手バカ一代」を読んだことがあるか? |
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これが指導員時代の芦原先生 旧「100万人の空手」より |
「空手バカ一代」を読んだ事のある方は芦原英幸先生がどのような人物であったか、ご存知と思いますが、良く知らない方のために「空手バカ一代」においての芦原先生のエピソードを書いて見ます。 「空手バカ一代」は原作/梶原一騎・漫画/つのだじろう・影丸譲也各先生により、極真会館総裁 故大山倍達の半生記を描いた漫画であり前半は大山館長の空手に人生を見出す事より始まり世界の格闘家を相手に無敵の強さで、最強の空手家を目指す、超人追求編である。 後半は、大山館長が国内で極真会館を設立し世界に空手を広める、世界制覇編。 芦原先生はこの後半の主役として登場する、大山館長が空手の指導をしている時、目をぎらぎら輝かせ倒せばよかろう式の荒い組み手をする入門者、それが芦原英幸だった。(ここではストーリー紹介のため敬称は略させて頂きます。) その後、芦原は持ち前の運動神経と感のよさでめきめき腕を上げていくが、一つだけ欠点があった。 それは正義感が人一倍強く気性の荒いため喧嘩が絶えなかった。遂には町を歩くやくざやちんぴら達に「喧嘩を買わない?」と毎日、喧嘩を売ってはストリートファイトを楽しんでいた。 それがもとで大きな事件に巻き込まれとうとう極真会館を破門にされる、その後、反省のため、頭を丸め廃品回収業を始める。 その努力が認められ破門は解除されるが、芦原に一つの試練が大山館長より出された、国内初の支部作りを四国の地で行う事だった、 裸一貫で四国に降りた芦原はすし屋の住み込みで働くかたわら空手の稽古の出来る場所を捜す。 そんな時一つの事件をもとに芦原の道場破りが始まる。「それもしかして空手?」この人を小ばかにした言葉で次々と空手道場に挑戦していった。そんな中で徐々に弟子を増やしていき、遂に念願の道場を八幡浜に持てるようになるちょうどその頃、極真会館では第一回空手道オープントーナメントが行われる準備が整い後輩の山崎、添野らが四国に訪れ芦原に指導を受ける。 この間にも、ジプシー空手、雲井等の強敵があらわれるが次々に勝利していく。 弟子の二宮も成長して世界大会に出場して行く。 簡単に説明すると芦原編はこのような感じだが、少しでも興味が湧いたらぜひ読んでいただきたい。 「空手バカ一代」は芦原先生のエピソードを含め大山館長のすごさを実感出来る男の漫画だとおもいます。 ノンフィクションという事で実際にあった事であるという点も驚くが、多少の(かなりの)脚色が梶原一騎氏の手による事も付け加えておきます。 芦原編で山狩りなどは無かったという事です。 しかし、ケンカを売り歩き、道場破りをしてまわるというエピソードは実際の話であり、その強さと正義感はヒーローという名にふさわしい人物だと断言します。 芦原英幸先生こそ自分が実際に見る事の出来た本物のヒーローでした。先生に空手を教えていただいた事が自分自身の誇りに思っています。 |
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極真会館芦原道場 呉支部 |
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このごろ丁度、撮影していた映画「地上最強のカラテ」のエピソードを教えていただいたりしていました。 梶原一騎氏の話もしていただいたり、極真会の高弟の先生方の話も面白可笑しく話をしていただきました。 とても、ケンカ十段と言われた恐い人というイメージはありませんでしたが、時折、見せられた鋭い目つきがとても印象的でした。 先生は、常に自分にチャレンジしろとよく言われました。 その教えを守ろうと、何歳になってもチャレンジする気持ちを忘れないようにしております。 (なかなか出来ておりませが・・・) |
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当時、芦原道場は、極真会館と言うよりも芦原道場という事に皆、誇りを持っていました。 その証拠に第9回オープントーナメントでは準優勝した、中山猛夫(現正道会館)師範や第10回で優勝した二宮城光(現円心会館)師範の試合の道着には芦原道場と大きく書かれていました。 しかしながらこれが本部の大山館長に反感をかうかたちになったのか?当時の極真会館の雑誌パワー空手ではその文字を写真修整して消してありました。 これらの事が重なって大きくなりすぎた芦原道場が極真会館の目の上のこぶのような存在になったのか?やがて永久除名という形になったように感じました。 この当時の芦原道場は本当にすごい選手がたくさんおられました、二宮選手をはじめ、全日本の8回大会2位の中山猛夫選手や前田選手の鮮やかな試合展開は感動するくらいすばらしい試合でした。 先生の言われていた言葉に「基本の正拳突きをダラダラ何十本突いてもだめだ!気合を入れて十本きっちり突いた方が身につく」確かに他の道場と違いはこの辺にあったように思います。 自分も学生の時に他の地方の道場に通う道場生と交流を持つ事がありましたが、技術的なやりとりがあったときに芦原先生の技術の差を感じずにはいられませんでした。 芦原先生は、冗談を交えながら指導をされました、しかし指導内容は実に道場生にわかりやすく納得のいく指導でした。 指導中に急に指名され「ちょっと、蹴って来い」といわれ蹴る道場生、そこから実技指導に入ります、しかしすぐに対応でき無い場合、「ダメだ!変われ!」といわれて落ち込んでしまう道場生、こんな感じで芦原先生の指導には気を抜く事が出来ませんでした。 サバキは芦原先生の作り出された素晴らしい技術だと思います。その技術に少しだけでも触れる事の出来た事を誇りに思っています。 芦原道場から芦原会館になった頃より色々な事情により呉支部も解散になってしまいました。 芦原先生から空手を学んだ数多くの道場生が、今の空手界や格闘界を支えていると思います。 色々な揉め事などもあったかとは思いますが、極真会館を含めて全てが友好的な関係になっていけば・・・と願います。 |
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道場に活気があった頃に撮影したこの写真。 力強くポーズをとってくれた芦原先生、もう二度とお会いできないことが、とても残念です。 極真会館芦原道場時代に今、K−1等で有名になられた、正道会館の石井和義館長も呉に審査で来られたりと、先生にお会いして色々と勉強もさせていただいた様に思います。 今でも、呉で一度だけ行われた、演武会でのサバキの指導はいつまでも、私達の心に残っています。 だだ、色々な事情で、当時の呉支部が解散になったこともありましたが、決していつまでも、先生を忘れることはないと思います。 先生から空手を学んだ一人として、芦原会館の発展と芦原英幸館長のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 押忍! |
芦原空手グッズコレクション 今では入手困難なグッズを紹介します。 |
空手アルバム 自分のアルバムの中での芦原先生の写真等を公開。 |
芦原英幸映像ファイル 現在、見ることの出来る芦原先生の映像関係を見所と共に紹介 |
芦原先生の著書
現在はほとんどが絶版となっております。
流浪 空手 (スポーツライフ社) 先生が初めて書かれた本、現在入手は難しい。 まだ、芦原会館の分裂があまり無い頃なので、 我が道場の先輩のお名前も出ていたりしてます。 |
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実戦!芦原空手 (講談社) 芦原空手初の技術書、好評につき続編も発売された。 指導者の写真等の関係から再販は無理でしょう。 |
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空手に燃え 空手に生きる (講談社) 上記の本と同時期に発売された。 芦原先生の本に全て言えることですが、 発行時の会館の状況がわかります。 |
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芦原英幸いのちの言葉 (福昌堂) 先生の遺稿、病床で文字盤に指をなどられて書かれたという、 涙が出そうになります。 最初の本から見ると、色々状況が変わってきてます。 |
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最強格闘技図鑑 (ぶんか社) 先生の著書では無いけれど表紙のB・リーよりも 芦原先生の事がかなり、書いてあります。 芦原ファン必読の書です。 松宮康生(著) |