SONG OF DRAGON Mike Remedios The Final LIVE IN OSAKA レポート by AK |
● プロローグ それは2011年8月 AKHD第1回オフ会の時のことだった。 レインボー氏より「オフ会でこれだけの人数が集まるなら、マイレメライブを前座でやってもらって人数集まるんじゃね?」との言葉 その時はまたレインボー氏の悪い冗談だと思っていました。 しかし、以前から前回のライブに参加出来なかったので、「いつもAKさんにはマイクさんの歌聞かせたいねー」とレインボー氏には聞かされていた言葉でした。 それにマイクさんを大阪に呼びたいと思っていた哲人28号さんの思いが重なりその陰謀は、哲人さんが東京出張時に着々と進んで行ったのでした。 そんな、2012年の7月哲人さんから電話があり、「なんか決まりそうなんですよ」と・・・ その次の日、レインボー氏より電話が「マイレメライブ、AKさんのオフ会の前座でやるから来てよ!」との電話が・・・ 自分は「ええええぇぇぇ!!!!マジでぇ?」 その言葉しかありませんでした。 冗談から始まりそれが本当になってしまいました、日時は当初10月13日土曜日、仕事を休んで行かなければならない状態から始まりました、しかし会場の都合で日時が10月14日日曜日に変更になり、本格的にライブに向けても動きが始まるのでした!! 参加の目標は80人超え80人でトントン、60人以上集まらなければイベント決行が難しいという状況。 レインボー氏のマイク・レメディオスのスケジュール調整が始まりました。 自分はHP上で参加者の募集とバックで流れるBGVの制作、その他広告関係などの雑務。 当初、ビデオカメラマンやスチルカメラマンを雇おうとしていたレインボー氏にそれらは全部自分がやるので、少しでも経費を浮かせる事を提案、その結果自分は、ほとんど仕事モードでの参加となってしまう。 それから自分もレインボー氏、さらに自ら苦労を買ってでた哲人28号氏の多忙な月日が始まりました。 週1のペースでSkypeで会議を繰り返し、あっという間に10月になりました。 参加人数も9月半ばには定員の80名超え、哲人28号氏は東京出張と有休を上手く使い車で東京へ行きライブの準備、マイクさんのお世話、オフショットビデオ撮影と夜もまともに寝ず、東京ライブ終了後荷物と共に東京から自宅そして大阪へと信じられない状況で大阪ライブへ、 レインボー氏もマイク・レメディオスの迎えから東京ライブのリハーサルもありマイクの新曲録音もあり、さらにレインボー氏自身が中心となった東京ライブが10月11日にありと通常で考えられない位の忙しい1週間を過ごしてマイクさんと共に大阪に入りました。 自分は比較的通常通りでしたが、4日前にカラオケの音源が一部間違っていたので直せるか?と言われて大慌てでBGVを直す事ぐらいだったかな? これらの多忙な日々の一部は発売中のBDで見ることが出来るので是非ご覧下さい。 |
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● マイク・レメディオス ライブ イン 大阪 2012.10.14 自分は仕事の関係で13日の夜に大阪に到着、当日まで来るかも知れないというアンダース・ネルソンがドタキャンした為、哲人さんはホテルのキャンセル手続きでバタバタでした。 そして、当日を迎える。 まずは会場のVOXXへ向かう、自分の撮影機材の入った超重いカバンはハシポンがずっと持ってくれていた。 ありがとうハシポン!
会場の音響やマイクテストなどはプロであるレインボー氏任せ、自分達のトークのリハーサルを始めました。
後から気が付けば入場に関して全くミーティングをしておらず、スタッフの方々、お客様にはご迷惑をおかけしました。 続々と入場され席はほぼ埋まりました。 いよいよ、オフ会の部が開始です! その前に入場者の数を聞いてちょっと愕然、10名程連絡無く74名の参加者だった。
実は、この開始のときの打ち合わせをちゃんとしておらず、始まって慌てる自分。 よくわかっていない哲人28号さん・・・
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