はじめに・・・

皆さんは山本由香利というアイドルを覚えていますか?

私は高校生のとき彼女を見てから大ファンになってしまいました。

今は懐かしくも楽しかった思い出です。時々オークション等で検索するのですが、結構な金額で切抜きが落札されたりしております。

同じように好きな方がいらっしゃるのだな、と思いつつWebサイトを探してみるとほとんどヒットしなく とても寂しく思いました。

その理由で自らサイトを開設しました。


私は今、由香利(ゆか里)さんはどのような活躍をされているのか分かりませんが、今でも昔の「と・き・め・き」は忘れていません。

ここでは当時の自分の恥ずかしい思い出を振り返りながら、当時の写真その他を掲載したいと思います。

ただ、ここに掲載している物のほとんどは、高校生の時に写真等を複写していたものを復刻して掲載しております。

従いまして、現在所有しているものは最近オークションで落札した物など以外余りありませんのでお許し下さい。

当Webサイト上の情報は、当時の記憶によるものでしたが、メンバーにより調査した結果、新しく発見した記述等で徐々に更新してまいります。

しかし記憶による思い違い、勘違いが多々あることはご了承ください。

また、掲載している写真、素材等で不都合がございましたら、ご連絡いただきましたら即座に対処いたします。

 

 

本名 山本由香利 現芸名(山本ゆか里)

生年月日 1959年6月6日 大分県生まれ神戸市育ち

所属 東映芸能 レコード コロムビアレコード

NET系「あなたをスターに」で第1回グランドチャンピオンにて1975年デビュー

タレント名鑑による山本由香利(ゆか里)さんの記載記事PDF(TEXT:tanuki調査員)

1980年頃に芸名を山本ゆか里と改名され所属をアイウエオ企画へと変更されております。

左の写真は当時ファンクラブが出来る前に事務所に「由香利ちゃんの写真ください。」といって切手を1000円分くらい送りつけたら、右の写真のプロモーション用のはがきを沢山と、写真つきのサイン色紙を送っていただきました。
非常識な学生だった自分に対し良心的に対処してくれたプロダクションに感謝します。
当時10枚以上あったこのはがきは今は持っていません。

なお由香利さんは現在、諸事情により芸能活動を中止されているようです。

このページは当時の自分の自己紹介を交えながら由香利さんの想い出を記します。

こではあえて旧芸名である山本由香利として記させていただきます。

自分が高校3年間で萌えた名前はやはりこの名前だったから・・

私が由香利さんのファンになったのはデビュー当時からではなくセカンドシングルの頃だった。

新聞に掲載されていた通信教育講座の写真がきっかけだった。

これがきっかけとなった通信教育の広告写真

種類からするとかなりの数があったのではないかと思われます。

自分が所有していた掲載写真だけで3種は確認しておりました。


そんな時友人に誘われ半強制的に連れて行かれた映画
「新どぶ川学級」(1976年日活)
この映画で自分はメロメロになりました。
自分の地方では市民館で1日限りの公開であり
その辺からポスターをかっぱらって持って帰ったけれど映画の内容はほとんど覚えていない、覚えていることと言えば、ウルトラセブン、バロム1、シルバー仮面の出演者が共演していたということだけで全然覚えていない、是非DVD化して欲しいものです。

その頃、自分が目にして覚えているのが、「セイカ パルッパポーズパズル」のCM。
ピンポンパンのお姉さんのような格好をして踊りながら歌います。

これは歌のみ使用されたバージョンのCMです。
 「セイカ パルッパポーズ・パズルのCM」 歌:山本由香利


それからまもなくしてウナコーワのTVCMが始まります。
このCMを映像で残したいと思い8ミリカメラで放送時間帯を覚えて何度も撮影しました。
その映像がこちらです。  ウナコーワCM(初年度編)

私は「めっちゃかわいい!」と学校で言っていたのですが、当時こちらの地方では今ひとつの知名度で同級生からは「カイカイねーちゃん」といわれました。(T_T)

1976年の映画では山口百恵主演の映画「エデンの海」に出演。
山口百恵扮する清水巴をいじめる同級生、宮田和枝役で登場。
先生をめぐり、浅野温子と共に山口百恵をいじめます。
この映画は意外にも、出演シーンが多くて満足でした。あんましいい役ではないけどね。
役は主演の次目立っている役柄なんだけどね。
映画的には、なんだかなー???と思える青春映画です。
ただ、これって東宝の映画なのに東映の由香利ちゃんが出ていたのかは不明。
まあ、「新・どぶ川学級」も日活ですから関係なかったのかもしれません。



同じく1976年の映画では松田優作・舘ひろし主演の「暴力教室」(1976年東映)に
溝口勝利(松田優作)の妹役で出演。

喜多条仁(舘ひろし)に犯されたうえに交通事故で死亡というなんとも悲しい結末でした。
当時、この映画のスチールセットに1枚由香利ちゃんが写ったものがあり、
映画の通販ショップで1セット購入しました。
少し高価だったと記憶してますが、今もっていれば松田優作ファンにオークション等で売れたかもしれない。(残念)


TV映画では「ベルサイユのトラック姐ちゃん」がNET系で放送されました。

役名は「ユカリ」初回を覚えていないので苗字があったのか、どうかは不明。

高校生役であまり出番は多くはありませんでしたが、1つのエピソードで主役のときがありました。
しかし、その回のサブタイトルも録音のみで記していないので分かりません。

エンディングは彼女の歌う「ためらっちゃうヮ」です。








   
それ以外にTVではグリコ提供の「グリコ ガッチリショッピング」で三波伸介のアシスタントとしてスタートしました。
人気番組「いとし、こいしのがっちりかいまショー」の後番組としてスタートしたわけですが残念ながら短命の番組となりました。


1976年6月26日に行われた「アントニオ猪木VSモハメド・アリ 異種格闘技戦」で花束贈呈をしたのは、山本由香利と小牧リサ(モモレンジャー)であったが、意外と知られていない。
  ロボコンでゆかり先生役、右はロビンちゃん

所属プロダクションが東映芸能であったため、テレビドラマのゲストとしては「がんばれ!ロボコン」を筆頭に「桃太郎侍」「刑事くん」等に出演は多い。

また、土曜日の1時?の番組「笑って笑って60分」の中で10分くらいの連続ドラマ「続・哀愁学園」に出演。

でもなぜか男役に・・・(本当は女の子なんでけど、なんかの理由で男として生活しているというストーリー)

主演は黒沢浩(BG7) 由香利ちゃんの役名は「泉 優」だったと記憶。

野球がメインのドラマであった事は確かです。

ドラマの詳細はほとんど覚えていないのですが、不思議なドラマでした。

主題歌はなぜか?「森田つぐみ」の冬の哲学。(意外にいい歌で好きです。)
歌詞がいいのでここに記載

♪死んだ 赤とんぼを見つけたわ今朝も 枯れた花と 石の墓標 風が吹きすぎていく 
やがて白い雪がうずめ飾るでしょう 愛の心うつろ 硬く凍てつく夜に
人は春をなぜか待つわ 心のどこかで

左の写真が「続・哀愁学園」の衣装をつけた写真。



1977年の事を書く前に歌手としても山本由香利を見てみましょう!
山本由香利シングルコレクション
(ジャケット裏面をクリックすると一番のみ歌を聴けますよ。)

★小麦色の思い出★75.9
これがデビュー曲?さわやかさが無いどちらかと言うと演歌っぽい
こりゃあヒットしにくいわな。


★恋はかくれんぼ★76.3
こちらのほうをデビュー曲にしたほうがよかった気がする
山本由香利の可愛さが良く出てます。しかしデビュー曲から半年も経っている


★ためらっちゃうヮ★76.5
前回と、うってかわって急遽決まった曲なのか、急な抜擢だったのか?
恋はかくれんぼから2ヶ月後に発売されている、そのためかジャケ写真が同じ

TVの番組EDのためこちらが一番メジャーな曲かも

★振り向かない季節★77.7
前曲から約1年、歌に力を入れると言っていた時期、事務所の方針だったのか?
本人の意志だったのか?このごろから歌番組に結構、登場


★グッドラック★77.10
歌番組で一番、歌っていた曲、ちょうど王選手の花束贈呈も重なり
自分にとっては最高の時期に思えた。
B面のセザンヌの絵のようにのアレンジがイーグルスの「ホテルカリフォルニア」に激似


★感傷旅行★78.2
最後のシングル、同時期にアルバムを発売するが「ためらっちゃうワ」を除いた
ベスト版、申し訳程度の新曲アリ、これを最後に歌手、山本由香利は姿を消すことに、寂しい・・・


1977年に「わんぱくパック まなつのよるのゆめ」という映画に出演していることは朝の子供番組「おはよう子供ショー」の歌のコーナーでプロモーションムービーが流れていたので知っていたし、一瞬映る山本由香利の映像を良く覚えているのですが、未だに見たことの無い映画です。


↑おはよう子供ショーのムービーより

その他のレギュラーでは、松方弘樹主演の「人形佐七捕物帳」ではレギュラーで出演。

時代劇なのにOPに普段着の由香利ちゃんがワンショットだけ出演するという訳の分からないカットが未だに疑問だ。

そして同年、今も伝説として語り継がれる映画「ドカベン」の出演であった。
少年チャンピオンでは結構特集を組んだりしてありましたが、ご存知のとおり今でも過去のお笑い映画として取り上げられることもしばしば、しかし私は真剣に劇場に見に行き、一度は普通に観賞。
2度目は最後列で映画のシーンをカメラで収めると言う熱中をした過激な観賞をしたのでした。朝日奈麗子、最高だったよ。

1977年は本人もインタビュー番組で語っているように、「ヒット曲がないので、歌で頑張っています。」
と言っているように「振り向かない季節」「グッドラック」と積極的に歌番組やバラエティ番組に出演しました。



そして、歴史的な山本由香利のイベント

王選手の755号(1977年8月31日)と756号(9月3日)のホームラン記録のときの
花のプレゼンターでした。

王選手の記録よりもプレゼンターに感動する私でした。

翌日の新聞の各紙を買いあさり写真探しをする自分。
さすがにメインは王選手なので後姿ばかりでしたが、
読売新聞ではカラーページであったりして
自分のスクラップブックを埋めていました。










 歌番組TV出演時の由香利ちゃん

会報

これが幻の会報だ!!

資料で言えば国宝級!(自分的に)

ファンクラブが出来たのもこの頃だったような気がします。

なんどもファンレターを送っていましたが、お返事は、上記のプロモーション用のはがきに返事が書いてある程度で、多分マネージャーさん(名前忘れました)が書いていたものだと思いました。

なんとか由香利ちゃんの自筆の手紙が欲しいと思った自分はある行動に出ました。
誕生日にプレゼントを贈ろう!
6月6日に間に合うように自分では当時頑張ってかわいい目覚まし時計を贈りました。
(というか送つけました。)
その結果、2ヵ月後くらいに本人からの手紙がきたのです。

上記のが手紙の一部です、裏にはサインが入っていました。
当時自分は空手をやっており、この部分をコピーして持ち歩いておりました。(苦しい時はこれを見る)
ファンクラブが出来ることが手紙で読み取れますが、このときファンクラブのなるべく早い番号を狙いたくって手続きをすぐに行い、送金しました。
しかし、早すぎたのか?郵便事故だったのか分かりませんが、1週間経ってもなんの音沙汰もなくたまらず事務所へ電話して見ると送金されていないとの事、文句をどこにも言えず泣きたい気持ちで、再度送金しましたが、会員番号は33番でした、かなし−−い。

会報はもう無いけど青色一色刷りの4ページくらいのものだった。
一部のファンの方とも会報によって交流がありましたが、内容的にはほとんど、機能していなかった気がします。


発行も当初は2ヶ月に1度から3ヶ月に1度となり、さらに発行物が遅れて結局3号で終了となりました。

とても悲しかった。
ファンクラブにお願いして最後の号の時に、過去の会報をもう一部ずつ分けてもらっていたのに今は、ありません。(ToT)

もう一度、読んでみたいなー 今じゃ無理かな?(何で処分してしまったんだ)

(2013年願いが叶って読む事が出来ました。資料提供者に感謝!!)


そして、私が由香利さんに始めてお会いしたのも、この頃でした。(以下ブログに書いた内容とダブります。)

ファンクラブの会報で山本由香利さんが広島に来ることを知り詳細をマネージャーさんを通して聞きました。
そこには、「こちらにきたら楽屋に寄ってください。」の文字が・・・

今でも忘れない「広島公会堂」に友人と弟をお供に連れ出発しました。

内容等の詳細はもう忘れましたが、ミシンメーカーの感謝イベントだったと思います。
その関係で回りはおばさんばっかり、高校生など自分たち3人だけショーが始まり、生の山本由香利さんを初めて見る感動、初めて生の歌を聴く感動、当時の日記を見ると1ページ全部を使って「ヤッター!!」と書いていました。
 
初めて撮影したアイドル写真、これが現在の仕事をするきっかけになったのかも知れない。

実際、始まる1時間前から着いていたのも関わらず、楽屋に行くのを恥ずかしくて「ためらっちゃうワ」っだった自分。
結局、他に誰もいなかったのでショーの後でサインを貰おうと、出口でじっと待っていた自分に友人が、
「今、通ったのが山本由香利じゃ!AK!走れ!!」自分も必死で走り追いかける。
AK「すみませーん!!サインしてください。」 
由「中で見てくれたの?」
AK「は、はい」
由「高校生?」「はい」色紙を返してくれる。
AK「これ、あのぉ使ってください」(ファンシーショップで買ったカップだったと思う)
由「わぁありがとう」
AK「ありがとうございました・・」と帰ろうとした時、
由「あっ握手」
AK「あ・・ありがとうございました。」
と言うのが全貌。
このとき何故2ショットの写真を撮らせてもらわなかったのか?
悔やまれてならない、でも機転を利かして写真を撮ってくれた弟に感謝!
サインを待っているときの自分のにやけ顔が情けない。
その様子を大笑いしてみていた友人。
こっちはいっぱい、いっぱいだったんだよ。余裕があったお前がサポートしてくれたら
もっと助かったのに・・・
でも、間近で見た本人は可愛いというよりきれいなお姉さんだった。
1つしか違わないのにすごく大人に見えました。
今見てもスタイルはいいね。足が細くて長いなー
その後はタクシーに1人で乗って帰られました。
何処へ行ったんだろう?
現在のおっさんの自分なら何処まで行くのか聞いて一緒についていくかもね。

その後、約2ヵ月後に再び広島に来られる事があり喜び勇んでチケットを確保しカメラを持って撮影に備えたが、そのときはTV収録であり、他にも歌手やタレントさんが出演するイベントであったため前のような、美味しいことは全く無く写真撮影のみで終わりました。

松崎しげる・???・山本由香利・安西マリア・岡田奈々という出演者、結構メジャーな人たちが来たから、そのときは楽屋裏は大変でした。
したがって、あきらめてさっさと帰りました。


その後、この収録はTV放映(地方のみ)され、客席をカメラが写した際、自分が映っていた映像。
赤丸が自分、意外にも前の席を陣取っいる。
隣には友人の姿もあるが、その横は空席?
後になってよく考えてみたらなんか?勝手に、この座席を強引に使ったような気がしてならない。







このように1977年度は歌手、山本由香利として活躍をしましたが、結局、メジャー歌番組に出演することも無く・・・
当時はベストテン番組が主流だったため、バラエティーの歌番組でしか見なかったなー。

そして、活躍の場はTV、映画の女優として活躍されるのでした。

夕陽丘の総理大臣の総理の妹役の他、東映系の現代劇、時代劇、特撮とジャンルを問わず、大抵の場合1エピソードにゲスト出演。
この頃から、グラビアでは露出度の高い・・というか、セミヌードからヌードへと変わっていく。

もう、レコードを出さないのか?と思っていたら「感傷旅行」を発売、と同時に私たちファンが夢にまで見た、アルバムを発売。
しかし、それを最後に歌手、山本由香利は歌番組で見ることはなくなりました。

そして、私は1978年を過ぎる頃から健康的なイメージでファンであった山本由香利から遠のいて行くのでした。
あれだけ、水着写真等でお世話になっておきながら・・・
  
しかし、1979年に「探偵物語」第9話「惑星から来た少年」の回はスペクトルマンが出演すること、暴力教室以来の松田優作との共演、
最高のエピソードでした。(ただしスペクトルマンの衣装はタルタルな上にタイツ)

その後、山本ゆか里と芸名を変更され、以降の詳細がわかりません、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただければ幸いです。

自分にとって山本由香利さんは初めて熱中したアイドルであり、彼女を撮影するために、カメラの望遠レンズを買ったり、TVの撮影、複写と写真の技術を独学で学びました。それを考えると今の自分は彼女が大きく人生を変えてくれたのかもしれません。

いろんな意味でありがとうを言いたい気持ちです。

このホームページをきっかけに同じ「山本ゆか里ファン」の方と交流する事が出来、ファン熱が再燃しております。
過去の映像を探して集めております、出演作品のビデオ等をお持ちの方は御連絡をいただければ本当にありがたく思います。

出演リストのページで○がついていないものは自分が所有していないものです。
どうぞご協力下さい。


今でも、山本由香利のブロマイドが買えるよ!
マルベル堂のサイトですが、残念ながら1種類しか販売してません。
みんなで買って、販売数を増やして、種類を増やしましょう!

ヒロインステーション発売中
2007年発行の雑誌「ヒロインステーション」に山本由香利の特集記事が!

ヒロイン全般を扱った雑誌として名高い「ヒロイン危機一髪」の最新刊

呉多古郎氏による「やっぱり 何がなんでもユカリスト!」の特集記事あり

実は私も写真を提供してます。8Pに及ぶ特集記事は見所満載! 
Mixiでコミュニュティーもやってます。Mixiされている方は、ぜひ!ご参加下さい。

YOUTUBEにユカリスト動画もUPしていますので、こちらもご覧ください。

山本ゆか里 検索でヒットするWebサイト(乏しい情報の足しにしてください。)

現在ウィキペディアにてTV及び出演作を順次UP中です。
足りないものをご存知の方がいらっしゃいましたらご記入をお願いいたします。

yahoo  goo映画  ウィキペディア   allcinema



ホーム  / 出演リスト / グッズ / BBS